2013年12月9日月曜日

ネルソン・マンデラの人生にただただ驚く、『マンデラの名もなき看守』(2007年)。


先日、ニュースで南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が死去されたことをニュースで知りました。アパルトヘイト政策に立ち向かいノーベル平和賞を受賞した、という認識はありましたが、実際に彼がどのような人生をたどったのか全く知りませんでした。




それだけにニュースで彼が25年間も投獄されていたことを知り、驚きました。「27年間!」一体、ネルソン・マンデラは何をしたというの!?と改めて気になりました。

なので、『マンデラの名もなき看守』を観ることにしました。

南アフリカ初の黒人大統領となったネルソン・マンデラの知られざる若き日々を、「ペレ」「愛の風景」の名匠ビレ・アウグストが映画化。反政府運動の指導者として27年間に渡り獄中生活を強いられながらも希望を持ち続けたマンデラの姿を、彼との交流の中で美しい魂を取り戻していく白人看守の視点から描き出す。マンデラ役に大ヒットTVシリーズ「24」のデニス・ヘイスバート、白人看守役に「恋におちたシェイクスピア」のジョセフ・ファインズ。
監督ビレ・アウグスト
原題 Goodbye Bafana
製作年 2007年
製作国 フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・南アフリカ合作
キャスト ジョセフ・ファインズ、デニス・ヘイスバート、ダイアン・クルーガー、パトリック・リスター
◆youtubeで「マンデラの名もなき看守」予告編を観る http://youtu.be/NalpHp0IleY

映画の冒頭。幸せな白人中流家庭と刑務所で黒人が置かれている状況が鮮やかに描かれています。

そして、その幸せな白人中流家庭をいとなむ主人公はネルソン・マンデラの看守になることを命じられ、そして、そのことを妻ともども出世のチャンス、近道と捉えています。意味が分からん。

そもそも、ネルソン・マンデラが何の罪で投獄されたのか、というと、反アパルトヘイト運動の結果だとのこと。おい、それで27年間も投獄されるのか、と愕然とします。つくづくほぼ単一民族で成り立つ平和な民主国家で育ったわたしには想像できない事実です。

「監獄で27年も過ごせば人生は無駄になったと人は言うかもしれない。だが政治家にとって最も重要なのは、自分の人生をかけた理念がまだ生きているかどうか、その理念が最後には勝利しそうかどうかだ。そして、これまで起きてきた全てのことが、我々の犠牲が無駄ではなかったことを示している」
ネルソン・マンデラ

マンデラのこの言葉を知ったとき、涙が頬を伝いました。何が罪だった、というのか。何故、妻に21年も触れることができなかったのか。何故、マンデラは27年間も収監されていたのか。


それにしても、何が「ツバメとスズメは違う」「黒人はテロリストなのよ」のだ!?と怒りに我を忘れそうになりました。主人公の妻にはほとほと呆れました。その妻の価値観。


一方で黒人の少年と楽しい子供時代を共有した思い出のある主人公は少しずつ意識がクリアになっていきます(まさに三つ子の魂百まで!)。少しずつ、少しずつ。彼は看守としての立場と人間としての立場に揺れ動いていきます。そして、看守としての立場を危うくしながら、昇進をよそに少しずつマンデラに寄り添うようになります。


ネルソン・マンデラの生涯を確認していると、wikipediaに以下のように記載されています。

若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年にアフリカ民族会議(ANC)の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て同国大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。

また、学生時代にアパルトヘイト政策のなんたるかを学んだ記憶もあります。教師が「日本人も白人からみると有色人種だ」と言ったのが印象に残っています。続けて「日本人は協定(?)により南アフリカでアパルトヘイトの対象にならないと」。なんだかもやもやした気持だけ残りました。

今回,改めてこの映画を観て、アパルトヘイト政策とは想像以上に苛烈なものであったことを知りました。わたしの気持は娘と同じです。衝撃を受けていた娘と同じ気持を抱きました。平和ボケしたわたしには想像がつかない出来事でした。



最後になりますが、ネルソン・マンデラ元大統領の魂が安らかでありますように願ってやみません。



泣ける度
 70%。
 ネルソン・マンデラに幸あれ。




アパルトヘイト
南アフリカ共和国の全人口の16%を占める白人が、残り84%の非白人を人種に基づいて差別した政策
で、アフリカーンス語で「隔離」の意味。アフリカ人に対しては分離発展政策による「地域的分離」にまで達していた。アパルトヘイトは政治、経済、社会の全分野にわたり、すべて法律化され、以下のように大別できる。(1)非白人の参政権のはく奪に関する法。少数白人支配の基礎となっているが、1984年の人種別三院制議会の発足により、カラードとインド人には参政権が与えられた。(2)白人の入植・定着に必要な土地関係法。アフリカ人は全国土の13%の土地に分離された。(3)白人地域でのアフリカ人の移動・居住を制限する法。(4)職場で白人を保護する労働関係法。(5)差別の根幹の1つを成す人種別教育に関する法。(6)以上の法の施行に対する非白人の反対運動を取り締まる治安関係法。しかし86年までに、南ア政府は(3)(4)を廃止、91年には(2)(5)も廃止、(6)の見直しを行った。残された(1)は93年12月の暫定憲法発効により解消、94年4月に全人種の参加した制憲議会選挙が実施された。

これが20世紀に行われた政策だとは・・・絶句の一言です。


amazonでネルソン・マンデラの本を見る。


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